* * * * *

ПОЛЮШКО-ПОЛЕ
ポーリュシカ・ポーレ

* * * * *

 ここでは、「ポーリュシカ・ポーレ(ПОЛЮШКО-ПОЛЕ)」という歌について、解説というか単なるボヤキというかをしてみようと思います。まず最初に、この歌の題名ですが、「ポーリュシカ・ポーレ」とは、ロシア語で「草原よ、草原」といったくらいの意味です。文法的なことを言っておきますと、「ポーレ」というのが「草原」という意味で、「ポーリュシカ」は「ポーレ」の指小形(親しみを込めた名前?)です。「ポーリュシカ」を敢えて強引に訳すなら、「草原ちゃん」くらいになるでしょうか? なお、「ポーリュシカ」は、これで一つの名詞であり、ポーレの「呼格」ではありません。というか、ロシア語には一部の名詞を除き、特別な呼格はありません。「そもそも呼格って何やねん!」って質問にはどこか別のところで答えるとして、ここでは次に行きましょう。

 「ポーリュシカ・ポーレ」と一言に言っても、軽く百ヴァージョンはあるそうです。ここではそのうち、熟慮の上で、ってゆーか、他の選択肢、ないに等しいので、3ヴァージョンをとりあげてみます(但し歌詞は2ヴァージョンのみ)。V. グシェフ作詞、オリガ作詞、仲雅美ヴァージョン(橋本淳訳詞)の三つです。何故その3ヴァージョンを取り上げたかは、この先読んでいけばわかると思います。なお、私はオリガヴァージョン、グシェフヴァージョンの歌詞は入手していますが、仲雅美ヴァージョンについては、昔カラオケで見たのをおぼろげに覚えているのみですので、あらかじめご了承ください。(仲雅美ヴァージョンの歌詞ですが、複数の方から教えていただきました。ありがとうございます!)

 ポーリュシカ・ポーレという歌は、元はもちろんロシアの歌ですが、日本でもけっこう有名らしいです(どのくらい有名なのかは、流行を無視ってる私にゃ分かりませんが)。お父さんお母さんの世代の人にとっては、おそらく懐かしい歌であり、若い人にとっては、けっこう新鮮な歌であると思われます。

 そこで、実は、ですが、お父さんお母さんの世代の知っている「ポーリュシカ・ポーレ」と、若い世代の人が知っている「ポーリュシカ・ポーレ」は、おそらく、というかほぼ間違いなく、歌詞が違っている筈です。

 お父さんお母さんの世代の知っているポーリュシカ・ポーレは、1970年代(1971年頃?)にヒットした、仲雅美歌(橋本淳訳詞)のポーリュシカ・ポーレと見てほぼ間違いない思いますが、若い世代の人の知っているポーリュシカ・ポーレは、おそらくドラマ「青の時代」で使われた、オリガ歌&作詞のポーリュシカ・ポーレだと思います。この二つは、全然歌詞が違っています。

 まず、我々日本人にとっての最大の違いとは、仲雅美版は日本語であり、オリガ版はロシア語である、ということでしょう。ある意味当たり前です。もっとも、この日本語ロシア語の違いは見かけ上(聴きかけ上?)だけのものですが、もっと本質的な部分、すなわち、歌詞の内容や、そもそもの成立過程においても、両者には大きな違いが見受けられます。

 まず、仲雅美歌(橋本淳訳詞)の歌詞ですが、この歌詞は、一応、V. グシェフ作詞の歌詞を訳したものらしいです。しかし、その歌詞の内容は、グシェフの元の歌詞とは相当違っていて、私としては、橋本淳訳詞というよりも、むしろ橋本淳作詞と言った方が良いのではないか、と思います。一方のオリガ作詞のものは、数年前に放映されたドラマ「青の時代」用に、オリガが書いた歌詞だそうです。すなわち、仲雅美のポーリュシカ・ポーレがヒットした時は、まだオリガ作詞のものは存在していなかったわけです。というか、もし仲雅美版のヒットがあと数年早かったら、作詞も何も、オリガ自身がまだこの世に存在してないことになってしまいます(^^;

 なお、オリガ版の歌詞は、多分グシェフ版の歌詞を意識したものになっています。似たような単語、言い回し、文の構成といったものが随所にある気が、何となくします。いわば、グシェフがまさにその時代のこととして歌詞を書いたのに対し、オリガは、グシェフが書いた対象と同じ対象を、遠い過去の出来事として見、それに更に自分自身の過去を重ねて書いたのではないか、と思っています。

 さて、ではここでV. グシェフ作詞の……というか、本場ロシアにおけるポーリュシカ・ポーレについて取り上げてみます。

 まず、ポーリュシカ・ポーレは、そもそもは革命歌だそうです。すなわち、作られたのはロシア革命以後であり、いわゆる伝統的なロシア民謡ではありません。なお、最も有名なロシア民謡の一つとも言える「カチューシャ」も、革命後つくられた歌だそうです。すなわち、ポーリュシカ・ポーレもカチューシャも、ロシア民謡というよりかは、ソヴィエト歌謡、と言った方が……いいのかな? でもソヴィエト歌謡と言うと、革命世代の人も引退した後にはやった歌、といった印象が、何とな〜くしてしまう(あくまで私にとってそう思えるだけで、「ソヴィエト歌謡」たるものが実際にはどんな歌をさしているのかは私の知るところではないが。ちなみに「ロシア歌謡」は、19世紀末頃にはやった歌をさすらしい)。いずれにせよ、ロシアで流行った曲であることに変わりはないし、ロシア民謡の伝統も多かれ少なかれ受け継いでいると思います。

 それで、グシェフ版ポーリュシカ・ポーレは、おそらくこの歌の数あるヴァージョンの中で最も有名な歌詞で(ひょっとしたら、これがオリジナルかもしれない)、赤軍(ソ連軍)について歌った歌です。グシェフ版の歌詞ができたのは、どうも1938年か36年かその辺だと思わせる記述をネットで見つけたのですが(記憶があやふやですみません)、革命後の内戦は1922年頃で終わっていたはずですし、独ソ戦は1939年からですので、このグシェフ版の歌詞が作られた時、赤軍は特にどことも戦っていなかったと思われます。というと、この歌詞は、革命時代を回想して作られた歌詞ではないか、と何となく思っています。なお、「ポーリュシカ・ポーレ」そのものが、実際にいつできたのかは、私の知る所ではありませんが、ひょっとしたら、メロディー自体は内戦時代にできたものかもしれません(特に根拠はありませんが^^;)。

 なお、V. グシェフ版以外の、ロシアにおけるヴァージョンですが、ネットで「パルチザンの歌」というのを見つけました。まずは「パルチザン」という単語、また、どうもやけに愛国心を強調してるっぽい歌詞(ロシア語は辞書と格闘しながらでないと読めないので、何となくそんな感じがしただけですが)、これらから、この歌詞は、恐らくは独ソ戦の時作られたものだと思われます。また、「赤軍」のところが「ロシア軍」になっているのもあるっぽいです(他の部分がどうなってるかは知りませんが)。ソ連軍の正式名称は、1946年までが「労農赤軍」で、1946年に「ソヴィエト軍」に改称したようですが、うーむ、ロシア軍とは一体……ソ連崩壊後に作られた歌詞なのだろうか? それとも?

 と、稚拙ではありましたが、歌の時代背景(?)の解説はここらにしておいて、ここで、それぞれのヴァージョンの歌詞を示し、私なりの解説をつけることとします。なお、沖雅美訳詞の歌詞は手元にありませんし、ネットを彷徨っていても見つかりませんでした。もし知ってる方がおられましたら、教えていただければ幸いです。

* * * * *

オリガヴァージョン

ポーリュシカ・ポーレ 作詞 オリガ

草原よ、草原
広い草原よ
駆けて行く英雄が
遠い昔の英雄が

風が運んでゆく
そう、緑の草原を
彼らの勇ましい歌
なつかしい歌

風が残すのは
戦の誉れと
ほこりまみれの路
遠くへ続く路

草原よ、草原
多くの悲しみを見たことも
血にまみれたこともあっただろう

 このオリガヴァージョンの歌詞は、ロシア語、日本語訳とも、オリガのCDにあったものをそのまま写したものです。四聯目の訳は、微妙に意訳っぽくなってるっぽいです。また、CDに入っているオリガの歌では、歌詞を何度か繰り返して(リフレーン?)歌っています。ちなみに「ポーリュシカ・ポーレ」は、オリガのアルバムのうち、4th「永遠。」およびベストアルバム「The best of Origa」に収録されています。それぞれのアルバムの歌は、全く同じものではなく、けっこう雰囲気が違っています。なお、「青の時代」に使われたのは、「永遠。」に収録されている方……だったと思います。なお、ここに歌詞を載せているのが、著作権とかで問題のある場合は、容赦なくご指摘ください。

* * * * *

グシェフヴァージョン

ポーリュシカ・ポーレ 作詞 V. グシェフ

草原よ、草原
広い草原よ!
駆けて行く英雄が
そう、赤軍の英雄が

娘たちが泣いている
今日娘たちには悲しみが
いとしい人が去ってしまった
そう、軍隊へと去ってしまった

娘たちよ見守れ
われらの路を
曲がりくねる遠くへ続く路は
そう、陽気な路は

われらは行き続ける
周りにはコルホーズ
娘たちよ、われらのコルホーズ
そう、若々しい我らの村々

われらが見るのは
白い雨雲
敵の悪意が森の陰から
そう、雨雲のように

娘たちよ、見守れ
われらは敵を迎えられる
われらの馬は速く駆ける
そう、われらの戦車は高速だ

空では雨雲から
恐ろしい飛行士が狙っている
潜水艦が速く行く
そう、ヴォロシロフが目を光らせている

コルホーズでは
仕事が行なわれよ
われらは今日は見張り
そう、われらは番兵

娘たちよ、見守れ
涙をぬぐえ
強く鳴り響け歌よ
そう、われらの戦の歌よ!

草原よ、草原
緑の草原よ!
駆けて行く英雄が
そう、赤軍の英雄が!

 このグシェフヴァージョンのロシア語の歌詞は、ネットを彷徨っていて見つけたのをそのまま写したものです。日本語訳は、オリガ版の日本語訳を参考に、私が訳しました。やけに訳し方が上手いな〜、ってとこは多分オリガ版の日本語訳を容易に参考にできたとこで、ここよく分からん、ってのは多分参考にできなかったとこです(^^; あと、誤訳等もあるかもしれないので、ご注意ください。なお、同じグシェフ作詞のものにも、微妙に歌詞の違うものがあるようで(どれがオリジナルかは、私は知りませんが)、たとえば、六聯目の一行目の感嘆詞「Эх」がなくなっていて、七聯目四行目が「そう、軍艦が巡回している(Эх, да корабли стоят в дозоре.)」になっているのとかがあります。ちなみに上で挙げている七聯目四行目のヴォロシロフという人(1881-1969)は、ロシア革命の時からの、ソ連の有名&有力な軍人のようです(スターリン時代を生き延びた数少ない一人?)。なお、実際に歌っているやつもネット上で見つけましたが、全十聯のうち、いくつかの聯はとばしており、実際に歌っているのは計五聯くらいでした。

* * * * *

仲雅美ヴァージョン
 仲雅美ヴァージョンの歌詞は、手元にはありません(誰か教えてくださいませ〜)が、おぼろげながら覚えている限りでは、ラブソングです。おそらくはグシェフ版とは、「草原」とか「ポーリュシカ・ポーレ」とかいう単語くらいしか共通しないと思います。もっとも、歌詞が手元にないため、詳しいことは言えませんが……。複数の方から、仲雅美ヴァージョンの歌詞を教えていただけました! ありがとうございます! 肝心の内容ですが、ロシアなイメージの漂う(というか、歌詞に「ロシア」って単語が出てくる)、完全なラブソングです。なお、グシェフ作詞の歌詞との共通点は、「草原」とか「ポーリュシカ・ポーレ」とかいった単語が出てくること以外ほぼ皆無なような、でもやっぱ微妙に関連あるようなです(^^;

* * * * *

 というわけで、最後に、私の個人的な感想、というか好みを……。
 私が個人的に一番好きなのは、オリガ作詞のポーリュシカ・ポーレです。どうも私は、「時の流れ」というものに弱いようですが、オリガ版のポーリュシカ・ポーレは、かつてのロシア革命の時にロシアの大地を駆け巡った赤軍(白軍その他も含む、としても、この場合は全然OK?)に、自分の若かりし日々を重ねているようで(オリガは子供の頃、活発な少女だったみたいです)、それであって、単純に「昔は良かったな〜」ではなく、過去に対するもっと単純な気持ちと、それ故の何か深いもの、というかが感じられるというかで、まさに十代とおさらばしようとしている私には、あらゆる意味でしみじみとくるものがあります。というか、オリガは過ぎ去りし若き日々、というか、まさに時間は流れている、というか、そんか風なのを感じさせる歌詞を書くのが上手い、と思うのですが、どうでしょうか? オリガの歌は、恋を歌った歌とかも好きですが、個人的には、「ルナパーク(ЛУНА-ПАРК)」とか、「遠い日(ОБРАТНЫМ БИЛЕТОМ)」とかが、特に大好きです。
 グシェフ版も、大義名分を云々、というよりも、単純に故郷と家族をおもって、といった感じするので、それはそれでけっこう自分にあってるかな〜、とか思っています。この歌詞見てて、ロシア革命みたいな革命って、本来は純粋に、自分やその家族をおもっての革命だったのではないのかな〜、とか思います(かな〜り拡大解釈?)。それがいつの間にやら、党のためだとか国家のためだとか偉大なる誰々のためだとかになっちゃって、その結果とはちょっと違うかもしれないけど、建国当初からんな感じだった東欧諸国の社会主義政権に至っては、労働者革命で倒されるという、おそらく共産主義体制としては最高に惨めな最期を迎えることになったのでは、とか思っています。
 仲雅美版は、オリガ版やグシェフ版とは全然違ったラブソングですが、普通に良い歌です。しかしながら、ロシア語やってる人間的には、仲雅美版の歌詞を見ると、やはりどうしても『「ポーリュシカ」とか「ポーレ」とかいった単語には「愛」って意味はないぞ〜!』と思ってしまいたくなるものですね(^^;

* * * * *

BACK

* * * * *

MUZIKA

PERESTROKA -Kaeul P. Aki's HomePage-