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ОЙ, ПОЛЮШКО-ПОЛЕ
オイ、ポーレチコ・ポーレ

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 ここでは、ネット上を彷徨っている時にたまたま発見したウクライナ民謡「ポーレチコ・ポーレ(原題『Ой, полечко-поле(オイ、ポーレチコ・ポーレ)』、「草原よ、草原」くらいの意)」を紹介します。歌詞の内容からも推測できるように、暗く物悲しいメロディーの歌です。なお、歌詞は別のバージョンがある可能性が高いです。

ポーレチコ・ポーレ

草原よ、草原
霧につつまれて
その草原に
死んだコサックが二人

一人の死んだコサックは
裕福な家の人
もう一人の死んだコサックは
貧しい孤児

裕福な息子には
刺繍されたシャツが
そして孤児には
糸の一つもない

裕福な息子の上には
大きな墓
そして孤児の上には
赤いカリーナ

裕福な家族を
家族は皆悲しみ
そして孤児の後には
一人の若い娘

草原よ、草原
霧につつまれて
その草原に
死んだコサックが二人

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 この歌は、題名が「ポーリュシカ・ポーレ」と似ていて、歌詞中に「Червона калиа(チェルボナ・カリーナ、『赤いカリーナ』の意。「カリーナ」というのは木の実の一種で、『赤いカリーナ』は「生命」を感じさせる言葉のようである)」という言葉も出てくるので、気になって訳してみました。
 この歌と「ポーリュシカ・ポーレ」とは、方やウクライナの民謡、方や20世紀につくられた歌と、そもそも全然別物なのですが、どちらも戦争が題材になっている歌です。また、この歌にも、オリガ版のポーリュシカ・ポーレにも、物悲しさが漂っています(無論オリガ版ポーリュシカ・ポーレよりもこの歌の方がずっと強烈ですが)。
 二人のコサックの死んだ後の姿。裕福なコサックと家族もいない貧しいコサック、その辿る姿は大きく異なっていても、どちらにも限りない悲しさを感じます。死んだ人間の物が立派なものであればあるほど、その人が幸福であったことと、死んだ今の深い悲しさと虚しさ、そのコントラストのようなものを感じますし、死んでも一部の人にしか知られずに、ただ自然に帰っていくのは、その人のはかなさと、しかし自然の中に帰れるということ、でも自分を悲しむ人はやはりいる、そういった複雑な思い、それの総体としての、悲しさ、やりきれなさを感じます。裕福なコサックと貧しいコサック、この両者の対比があるようで、そんな小さな枠などどうでもいいくらいのものだ、といった感じもする気がしています。
 単純な悲しさや理不尽さ、そういっただけのものではない、深い故に暗い、その暗さは深さ、そういったものがこの歌にはある気がします。

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